ふれっしゅらいふ、その後のハナシ。
感動する準備
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    金丸悠児」という画家さんが描く動物たちのファンになってしまった。
    一枚の、平面の中に、三次元以上の表現が出来るんだなぁと感動した。


    彼の作品「トラ」を見ながら私もトラを描いてみた。
    ファンアートってやつ?


    私たちの「他人が表現した何かに触れて感動する」プロセスってのは
    言葉を介さない直観的な刺激が起こすもんなんだ。きっと。

    視覚か聴覚か味覚か何か、外からの「刺激」が直接「心」に届いて、
    そんでもってその刺激の揺らぎ、リズム、波長みたいなものが
    自分の「心」のそれと同調して「感動」が生まれるんじゃないだろーか。

    脳で言葉を生成して解釈を加えて得たものは「感想」であって「感動」じゃない。
    頭を動かす訓練は大事なことだけど、心を動かす経験もないがしろにしちゃいけない。
    だって、心を動かすことはやろうと思ってできることじゃない。絶対に相手が必要だから。
    自然でも、芸術作品でも、ふとした出来事でも、自分の外にある何かに出会う必要がある。


    外の世界に心がダイレクトに触れて、接点を持って、人は「感動」する。
    その経験を体内に取り込んで、自分の中に外の世界を組み込んで、人は「成長」する。
    組み込まれたピースを消化吸収し、排泄することで、人は「表現」する。


    「感性豊かだ」ってのは、心を動かす閾値が低いってことだと思う。つまり、感度が高い。
    子どもが感性豊かだと言われるのは、頭が柔らかいのと関係がある。
    頭で処理することに慣れてしまった大人は、刺激を刺激のまま心に通すことが難しくなる。
    かちこちの頭でっかちさんは自分の中にある情報・知識だけで世界を完結させようとする。
    外との接点を持てなければ、心も動かず、成長もできない。



    子どもは語彙が少ない。頭を動かす道具である「言葉」が少ないわけだから
    その分「心」がオープンなんだろうと思う。彼らの見ている世界は世界そのままの姿で、
    「言葉」で一時停止を食らうことなく心に届くのかもしれない。

    子どもには心を動かす経験をたくさんしてほしい。
    頭を動かす訓練で、心を動かす機会を奪ってしまうのはもったいない。



    大人だって、自分の外に目を向けよう。心をほんの少し無防備にしよう。








    感動する準備は、できてるか。
    19:08 考えること comments(0)
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      19:08 - -
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