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2019.08.10 Saturday
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離島旅!馬祖編(5)霧に閉じ込められる、の巻
2015.04.12 Sunday
楽しい楽しい離島旅。主人も「今までの台湾旅行の中でいちばん楽しかった」
「3年暮らして、初めて台湾料理も美味しいと思えた」と言ってくれて
計画した私も大満足、心も体もリフレッシュの馬祖旅行・・・・の、はずが。
最終日、朝。不安が的中。
【まさかの足止め】
すごいぜ、霧・・・ 当然飛行機は飛ばず空港閉鎖。
民宿オーナーが船なら出るはず、とアドバイスをくれた。
どうやら南竿から台湾の基隆港行きのフェリーが出ているらしく
一日一便のそのフェリーに乗るべく私たち夫婦+同じ日程で
宿泊していたアメリカ人の3人は港へ向かった。
アメリカ人の女の子KTは中国語が全くできないから、
この先台北に帰るまで一緒に行動することになった。
割と早めに港に着いたと思ったのに、そこにはすでに人、人、人。
連休終日、しかも前日の飛行機も全便霧でキャンセルになったせいで
港には飛行機に乗れなかった人があふれかえっていた。
民宿オーナーのアドバイス通りキャンセル待ち番号札を取り、
出来るだけ若い番号の人を探し回る。これがもう、大変。
案内はもちろん中国語オンリー、この混乱でアナウンスはほとんど聞こえない。
優しいお姉さん二人にくっついてチケットを買おうとしていたんだけど
結局キャンセル待ち人数にかすりもせず。
まさか帰れなくなるなんて。しかも翌日はフェリー営業外。
最速で帰れたとしてもフェリーが出るのは翌々日。
当然、あっというまに満席でそれもキャンセル待ち状態。
「仕事が・・・・」とショックで顔が青くなる主人。
この後彼は一日中ほとんど言葉を発することができなくなってしまった。
私たち3人は「追加の船が出る」とか「翌日も臨時で船を出す」とか
混乱した情報に踊らされながらも、最後まで港に残って茫然としていた。
KTが「中国に渡って、それから飛行機に乗るルートがある」という情報を
掴み、中国行の船を探し回る。
船を手配している旅行会社に電話しても、カウンターのおっちゃんに聞いても
みんな言っていることがバラバラ。駆け回って聞きまわって、ほんとに疲れた。
○時になったらわかる、ということでその時間まで港で待つ。
その間私はKTとお喋りをして、主人は無言で遥か彼方を見つめていた。
時間になっておっちゃんが「今日は船が出ない!」というようなことを言ってきた。
これじゃしょうがない、と空港に向かう。
空港には先ほど港から去った人たちが皆集まっていた。
こんどはこっちが混乱状態。カウンターのお姉さんもイライラ全開。
もちろん空席なんてものはなく、キャンセル待ち680番台に登録。
「一生帰れなかったらどうしよう」とパニくるKT、そして放心状態の主人。
【私が頑張らないと!!】
どうしようも無いから、民宿を探すことに。
タクシーの運ちゃんにもらった民宿の名刺に電話をかけ、
ここは空いてないから今から言う電話番号にかけろ、と言われ
わけもわからないままとりあえず泊まる宿を確保。
どもりとなまりが強烈なお兄さんの車で民宿に向かう。
トイレが例によって台湾式でしかも共同だったけど、
部屋そのものは清潔で良いところだった。割引もしてもらえたし。ホッ
民宿に着いた後もKTは興奮状態で、主人はベッドにもぐりこんで
出てこなくなってしまった。可哀そうで見ていられない。
飛行機はキャンセル待ちだとらちが明かないから、
2日後の空いている便をインターネットで予約。
翌日なら中国行の船に乗れるかも、ってことで
港に聞きに行ったり旅行会社に電話したりしてみたんだけど
これまたみんな言うことバラバラ。
もう出来ることはした、と諦めて就寝。
【何もする事が無い二日目】
少しずつ元気を取り戻してきた主人と、落ち着きを取り戻してきたKT。
霧がマシになったらしく朝一の飛行機が飛んでいくのが窓から見えた。
この日のミッションは中国行の船探しと、空港のキャンセル待ちの人数確認。
キャンセル待ち680人が一気にはけるなんて奇跡は起こらないとしても、
そのうち何人の人が帰れたのが確認するために散歩がてら空港へ。
その日の空港は朝から賑やかだった。
キャンセル待ちは相変わらずの人数で、翌日も霧が出ないことを祈るしかなかった。
主人と私は空港を出てその足で港まで向かった。
前日とは打って変わって静まり返った港。
電光掲示板には中国行の船は「準時 On Time」と出てるのに、
港の職員は「今日は船なんかないよ」と言う。
一応また電話でも問い合わせてみたんだけど、
またまた「○時になったらわかるよ」とのこと。
港を出たらちょうど路線バスが来ていたから、することも無い私たちは
とりあえず乗ってみようか、とバスに乗り込む。運転手さんが臭い。
山道を進むバス。乗客はほとんど兵隊さん。
突然携帯が鳴ってあわてて出ると、中国行のフェリー会社からだった。
「船出るよ、何時になるかわからないけど。カウンターに来て!」だって。
なんじゃそりゃ、と思いつつも終点からタクシーを拾って港へ。
で、結局、船は欠航。そもそも「何時になるか分からないけど」って点が
おかしいと思ったんだよ。もう誰も信じられない。
外は寒いしすることもないし、でコンビニでお菓子を買い込んで
民宿のロビーで映画鑑賞。台湾には映画チャンネルがいくつかある。
その日やっていたのはOBLIVION。
うだうだしてたら民宿のお兄さんが「空港行かないの?飛行機出てるよ」と。
雨のおかげで霧が晴れ、飛行機も追加が出て、その上軍隊も応援に駆け付けたらしく
その日は一気に何百人も台湾に無事帰還することができたようだ。
私たち外国人は軍機に乗せてもらうことはできないからその日のうちに
帰ることはできなかったけど、翌日のフライトを朝一に変更することが出来た。
雨よ、降り続けてください明日まで。
【帰還】
そして朝。飛行機は通常運行。ガッツポーズ。
空港には最後まで残った、何度も見かけたメンツが。もうプチ同窓会的な。
小さなプロペラ機は台北に向かって飛んだ。
KTとは台北の空港で熱い抱擁を交わして別れ、
主人は家に着いたらすぐに支度して急いで会社へ。
私はブログの文章を考えながら写真の整理を始めた。
こうして私のトリッキーな馬祖旅は幕を閉じた。
おしまい
「3年暮らして、初めて台湾料理も美味しいと思えた」と言ってくれて
計画した私も大満足、心も体もリフレッシュの馬祖旅行・・・・の、はずが。
最終日、朝。不安が的中。
【まさかの足止め】
すごいぜ、霧・・・ 当然飛行機は飛ばず空港閉鎖。
民宿オーナーが船なら出るはず、とアドバイスをくれた。
どうやら南竿から台湾の基隆港行きのフェリーが出ているらしく
一日一便のそのフェリーに乗るべく私たち夫婦+同じ日程で
宿泊していたアメリカ人の3人は港へ向かった。
アメリカ人の女の子KTは中国語が全くできないから、
この先台北に帰るまで一緒に行動することになった。
割と早めに港に着いたと思ったのに、そこにはすでに人、人、人。
連休終日、しかも前日の飛行機も全便霧でキャンセルになったせいで
港には飛行機に乗れなかった人があふれかえっていた。
民宿オーナーのアドバイス通りキャンセル待ち番号札を取り、
出来るだけ若い番号の人を探し回る。これがもう、大変。
案内はもちろん中国語オンリー、この混乱でアナウンスはほとんど聞こえない。
優しいお姉さん二人にくっついてチケットを買おうとしていたんだけど
結局キャンセル待ち人数にかすりもせず。
まさか帰れなくなるなんて。しかも翌日はフェリー営業外。
最速で帰れたとしてもフェリーが出るのは翌々日。
当然、あっというまに満席でそれもキャンセル待ち状態。
「仕事が・・・・」とショックで顔が青くなる主人。
この後彼は一日中ほとんど言葉を発することができなくなってしまった。
私たち3人は「追加の船が出る」とか「翌日も臨時で船を出す」とか
混乱した情報に踊らされながらも、最後まで港に残って茫然としていた。
KTが「中国に渡って、それから飛行機に乗るルートがある」という情報を
掴み、中国行の船を探し回る。
船を手配している旅行会社に電話しても、カウンターのおっちゃんに聞いても
みんな言っていることがバラバラ。駆け回って聞きまわって、ほんとに疲れた。
○時になったらわかる、ということでその時間まで港で待つ。
その間私はKTとお喋りをして、主人は無言で遥か彼方を見つめていた。
時間になっておっちゃんが「今日は船が出ない!」というようなことを言ってきた。
これじゃしょうがない、と空港に向かう。
空港には先ほど港から去った人たちが皆集まっていた。
こんどはこっちが混乱状態。カウンターのお姉さんもイライラ全開。
もちろん空席なんてものはなく、キャンセル待ち680番台に登録。
「一生帰れなかったらどうしよう」とパニくるKT、そして放心状態の主人。
【私が頑張らないと!!】
どうしようも無いから、民宿を探すことに。
タクシーの運ちゃんにもらった民宿の名刺に電話をかけ、
ここは空いてないから今から言う電話番号にかけろ、と言われ
わけもわからないままとりあえず泊まる宿を確保。
どもりとなまりが強烈なお兄さんの車で民宿に向かう。
トイレが例によって台湾式でしかも共同だったけど、
部屋そのものは清潔で良いところだった。割引もしてもらえたし。ホッ
民宿に着いた後もKTは興奮状態で、主人はベッドにもぐりこんで
出てこなくなってしまった。可哀そうで見ていられない。
飛行機はキャンセル待ちだとらちが明かないから、
2日後の空いている便をインターネットで予約。
翌日なら中国行の船に乗れるかも、ってことで
港に聞きに行ったり旅行会社に電話したりしてみたんだけど
これまたみんな言うことバラバラ。
もう出来ることはした、と諦めて就寝。
【何もする事が無い二日目】
少しずつ元気を取り戻してきた主人と、落ち着きを取り戻してきたKT。
霧がマシになったらしく朝一の飛行機が飛んでいくのが窓から見えた。
この日のミッションは中国行の船探しと、空港のキャンセル待ちの人数確認。
キャンセル待ち680人が一気にはけるなんて奇跡は起こらないとしても、
そのうち何人の人が帰れたのが確認するために散歩がてら空港へ。
その日の空港は朝から賑やかだった。
キャンセル待ちは相変わらずの人数で、翌日も霧が出ないことを祈るしかなかった。
主人と私は空港を出てその足で港まで向かった。
前日とは打って変わって静まり返った港。
電光掲示板には中国行の船は「準時 On Time」と出てるのに、
港の職員は「今日は船なんかないよ」と言う。
一応また電話でも問い合わせてみたんだけど、
またまた「○時になったらわかるよ」とのこと。
港を出たらちょうど路線バスが来ていたから、することも無い私たちは
とりあえず乗ってみようか、とバスに乗り込む。運転手さんが臭い。
山道を進むバス。乗客はほとんど兵隊さん。
突然携帯が鳴ってあわてて出ると、中国行のフェリー会社からだった。
「船出るよ、何時になるかわからないけど。カウンターに来て!」だって。
なんじゃそりゃ、と思いつつも終点からタクシーを拾って港へ。
で、結局、船は欠航。そもそも「何時になるか分からないけど」って点が
おかしいと思ったんだよ。もう誰も信じられない。
外は寒いしすることもないし、でコンビニでお菓子を買い込んで
民宿のロビーで映画鑑賞。台湾には映画チャンネルがいくつかある。
その日やっていたのはOBLIVION。
うだうだしてたら民宿のお兄さんが「空港行かないの?飛行機出てるよ」と。
雨のおかげで霧が晴れ、飛行機も追加が出て、その上軍隊も応援に駆け付けたらしく
その日は一気に何百人も台湾に無事帰還することができたようだ。
私たち外国人は軍機に乗せてもらうことはできないからその日のうちに
帰ることはできなかったけど、翌日のフライトを朝一に変更することが出来た。
雨よ、降り続けてください明日まで。
【帰還】
そして朝。飛行機は通常運行。ガッツポーズ。
空港には最後まで残った、何度も見かけたメンツが。もうプチ同窓会的な。
小さなプロペラ機は台北に向かって飛んだ。
KTとは台北の空港で熱い抱擁を交わして別れ、
主人は家に着いたらすぐに支度して急いで会社へ。
私はブログの文章を考えながら写真の整理を始めた。
こうして私のトリッキーな馬祖旅は幕を閉じた。
おしまい
JUGEMテーマ:台湾
JUGEMテーマ:旅写真
JUGEMテーマ:写真日記
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2019.08.10 Saturday
15:28 - -
comment
お疲れ様でした。
金門、澎湖、馬祖はよく霧のせいで欠航します。
でも、まつさんは私よりすごいです。
だって、金門だけ行ったことがあるんです。
金門、澎湖、馬祖はよく霧のせいで欠航します。
でも、まつさんは私よりすごいです。
だって、金門だけ行ったことがあるんです。
>台湾主婦さん
東京、満喫してますか〜?^^
金門と馬祖は雰囲気が似てるそうですね。
次は金門にも行ってみたいな!・・・霧の出ない季節に(笑)
東京、満喫してますか〜?^^
金門と馬祖は雰囲気が似てるそうですね。
次は金門にも行ってみたいな!・・・霧の出ない季節に(笑)