ふれっしゅらいふ、その後のハナシ。
大いなるヒマさが湛える海
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    想像以上に遠かった海の中道。最近水族館が好き。



    ハナゴンドウクジラのユキちゃん。ジャンプは大迫力。
    プールでぷかぷか浮いてこっちを見ている姿がもう可愛いのなんの。



    ガラスにぴったりくっついてプールを覗いていたら
    スナメリが一匹コッチに気づいて近寄ってきた。



    ふふふ、大接近。



    ナポレオンフィッシュ。こいつぁ、イカツイぜ。
    まだ幼稚園児さんの頃、「このお魚○○ちゃんのお母さんに似てるね」と言って
    場を凍りつかせたことがある私です。





    世の偉大な発明は、哲学と言う形無き発見も含め、
    「金にもならんこと」に一生懸命時間と情熱をそそげる大いなるヒマさがあったからだ。

    あの数年間、図書館にこもって読みたい本をひたすら読んだり
    夕焼け空の下で哲学したりできなのは、大いなるヒマさのおかげだった。
    世の大学生はもっと忙しいのかもしれないけど、私はありがたいことに
    この大いなるヒマさを大満喫できたってわけだ。

    この大いなるヒマさは金や資産を産みはしなかったが、私の内面部分を
    カラフルに、やわらかく、変化に富んだものにしてくれたと信じている。


    子どもは最初から「発想力」があって「無邪気」で「独創的」な生き物だ、
    ってなんとなく思ってた。でも、違うのかもしれない。

    子どもには大いなるヒマさがあふれんばかりに与えられている。
    この大いなるヒマさにどっぷり浸かって、金にもならん「非生産的」な活動を
    心も身体も全部使って打ち込むことが許されている。

    大いなるヒマさを咀嚼、消化して、身体の一部に取り込んだそれが
    「子どもらしさ」、無邪気な発想力、遊び心なんじゃないか。
    もしこどもが大いなるヒマさを奪われたら、
    きっと世間一般的な「子どもらしさ」の無い子になるだろう。


    子どもがオトナになる過程の中で、社会の一員として「生産的な活動」を
    要求されるようになっていく。それは大いなるヒマさをとことん排除することをヨシとする。
    子どもらしさは失われて、やわらかさがなくなって、だんだん固くなる。


    何が言いたいかって、結論なんて無い。
    ただ思いつくままに、言葉と遊んでみる。すごく久しぶりじゃないかな?
    もしかして、昔の大いなるヒマさを大満喫している頃の私のブログを
    読んだことがある人は気付いてくれるかもしれない。



    あの人と話すと、上手く説明しなきゃって思って先に進めなくなるんだ。
    だから、考えることも辞めちゃう。こんなとき、本当にあの頃が懐かしくなる。

    「時間の正体」だとか「宇宙人」だとか「宗教のおもしろさ」とか
    どんなにばかげた話でも、笑いながら、時に大真面目に、
    誰に遠慮するでもなく話し合えたあの頃が。

    「無神論者」と言い切る彼に、「カミとGODの違い」とか「宗教は科学のルーツ」だ
    なんて話をふるなんて、怖くて出来ない。なんて合理的に、計算的に、
    正論を語る人なんだろう、と思った。決してユーモアがない人じゃないんだけど。


    JUGEMテーマ:なんとなく想う。
     
    19:56 考えること comments(0)
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