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見えている「場」と見えない「場」
2011.11.04 Friday
カタチを形作るエネルギー源に思いめぐらすのが好きです。
それを学問の系統に組み込むと、民俗学、文化人類学、なんて言ったりする。
例えばそのカタチってのは、物だけじゃなくて
文章であったり絵であったり、音楽、踊り、表現の類。
冠婚葬祭、つまり儀式、宗教そのもの、シンボルそのもの。
そのカタチの裏っかわにあるのが、不安、畏れ、感謝、祈り、願い、目に見えないもの。
見えない「場」と見えている「場」を繋ごうとする習慣は時も場所も飛び越えて
普遍的なもんなんだと思います。大昔も、今も、日本も、ブラジルも、一緒。
民俗学の重要頻出キーワードで言えば、「境界」。
見えない「場」を無かったことにして、考えないようにして
見えている「場」に集中することが、文明の発達だった。
人間の社会は「良い」方向に「進んで」いる。
この直線的、砂漠的思考パターンが日本に浸透した。
もともとは循環的、森林的思考パターンだったのに。
「境界」を取っ払うために、「開発」が必要だった。
森林、山、杜は「発展の余地ある」遅れた社会にされた。
見えない「場」と見えている「場」を混ぜ合わせる行為は、万人と共にあった。
歌も、踊りも、特定の才能ある人の特権じゃあなかったはず。
「ぐるぐるまわる、足を踏み鳴らすという原始的な踊りは世界と自分を混ぜ合わせるための行為」なんだって、ダンサーの誰かが雑誌で言ってた。
見えないものに時間を捧げる行為は、人間の根源的な優しさだと思う。
手で触れることができなくても、匂いを感じることはなくても
そこに在る、確かに在る、という感覚が、自己と他者を結ぶ安心感だと思う。
・・・うむ。まとまりがない。まとめようとしたら、どうしてもかっこつけて
中身のない文字の配列になってしまうからやめた。そのうち本当に言いたかったこと
湧き出た疑問とか驚きとか、うやむやになって忘れちまうから。
ここんところ、忘れっぽさの加速度が増してる。
JUGEMテーマ:心模様
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